2011.12.10
2011年12月9日(金)18:30-22:00 PBL4コミュニケーション軸のオープンレクチャと第一課題の講評を実施しました。
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前半はランドスケープアーキテクトの石川初さんにお話しいただきました。
石川さんはランドスケープアーキテクトとして造園設計を専門とする傍ら、スリバチ学会やGPS地上絵師などのさまざまな活動をされています。
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まず「時層のかたち」という早稲田大学の1年生むけの課題を紹介して頂きました。
生物と無生物の衝突を端的に示すような樹木の根に持ち上げられた石畳、そこで費やされた時間を表象する灰皿やたばこの吸い殻、さまざまな長さに削られた29本のえんぴつ、それぞれちょっとずつ違う時間を示す時計が撮影された写真など、「空間は時間の現れである」という視点でキャンパス内から集められた事例は非常に示唆的です。
我々は時間を通してしかものを見ることができません。それは事物が時間内存在であり変化のないものは存在しないということ、もうひとつは、どのような物事もある時間をかけてしか認識できないという、2つの側面に言い換えることができます。
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石川さんは時間内存在として植物に着目します。
たとえば成長した樹木は時間の長さを端的に表します。つまり樹木の存在がその環境の持続性を保証しているとも言えます。周囲の環境が持続してきたこと、つまりこれからの環境が持続されるであろうことを感じさせ、たとえば、樹齢数百年のけやきがうっかり神様あつかいされたりするなどします。
一方、立派な木を植えることは、すなわち時間を買うことであることです。圃場はあらかじめ時間を仕込んでおく場所と言えるでしょう。
また伝統的な作庭が「老樹」を規範とするのに対して、近年は10年程度で更新する樹木を想定したデザインが多く見られます。樹木の選定は、当の環境について想定された時間的な射程距離を表象しているのです。
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また自然史的スケールにおいては、たとえばある土地に一切人の手を入れず放置すると特定の植生の相に遷移し安定するのだそうです。これを予測し、まとめたものを潜在自然植生図といいます。たとえば首都圏のほとんどの地域は「シラカシ群集」に覆われています。人間がいなければ究極的にはシラカシの常緑樹林の森になるのだそうです。
この観点からは、現在身のまわりで見られる人為的な植生はすべてこの究極的な植物相の過程、プロセスのある断面であると言えます。植生の遷移をある状態に留めることで現前の風景をつくっている。ゴルフ場の芝生も道ばたのタンポポも、森のはじまりの「予感」なのです。
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受講生にとっては身の周りの環境から新しい意味を取り出す知的な構えを学ぶ機会となったのではないでしょか。
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参考:
See something or say something/Eric Fischer
→ http://www.flickr.com/photos/walkingsf/sets/72157627140310742/
the degree confluence project
→ http://confluence.org/
GPD Drawing/Jeremy Wood
→ http://www.gpsdrawing.com/
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後半は第1課題「10年/100年/1000年のモニュメント」の講評会。
本江先生、中西先生、そして石川さんを交えて、「コミュニティの記憶装置」としてのモニュメントについてのマルチスケールな事例と受講生のアイデアについてレビューを頂きました。
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最後に第2課題を出題しました。「アーカイブのアーカイブ」をテーマとして、アーカイブ事例を集め、構造を分析し、気づいた点を報告してもらいます。
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1)講義の内容について
オープンレクチャ/第1課題最終講評/第2課題発表
2)配付資料
→ ハンドアウト(PDF=520KB)
3)次回講義について
日時:12月22日(金)18:30-21:00
会場:都市建築学専攻仮設校舎ギャラリートンチク
内容:第2課題のエスキス