2011.01.21
2011年01月20日(木)、仙台市卸町にてInteractiveレクチャの3回め、SSDハウスレクチャが開催されました。
映像・音楽をはじめとする建築以外の芸術領域においても横断的に活動し、同時に10年を超える長きに渡り教鞭を執っている、早稲田大学芸術学校校長の鈴木了二先生をお招きしました。
鈴木先生は「DUB MATCH」のお話をしてくださいました。
「DUB MATCH」は画像を引き延ばすことで、プロポーションを超えた、「構造」をあらわにさせる思考実験です。
「DUB」はもともと音楽用語で、鈴木先生は電気的増幅から着想を得たそうです。いかなるものもルーツがあり、サンプリングされたものである以上は、アナログ/デジタルの対立はもはや意味をなくしているのではないかとおっしゃっていました。
「DUB MATCH」では、対になる作家や作品の画像をならべ、DUB=膨張・縮小(画像を押しつぶしたり引き延ばしたり)をかけても、根本的性質が変わらないものを勝利者(よいとは別だが…)とします。勝利者が「よい」とは限らないが、「勝ちは勝ち」だそうです。
またこれをやってみると新しい視点に気づくことができます。
たとえばイブ・クラインの「人拓」対フォンタナの「裂け目」では、押しつぶされてカンバスのテンションの緊張感を失うフォンタナに対して、プロポーションが崩壊しても作家性を失わないイブクラインの勝ち、といったように勝敗が決していきます。
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まずは建築。
ローマのコロッセオ対ギリシャのパルテノン。ギリシャ建築がプロポーションに依拠している(オーダーなど)のに対して、ローマはリズムが重要であるというのが勝因でローマの勝ちでした。
ちなみにフーコーはギリシャ的でハンナ・アレントはローマ的だそうです。
「スーパーサイジング」ともDUBは異なります。
たとえば駐車場とビルしかなく中間がすっぽり抜けているクールハースのラゴスの写真をスーパーサイジングの極北として紹介していただきました。あるいはスラム、アジアの高密な交通などもスーパーサイジングの例です。
これら膨張時代における抵抗勢力としてDUBを位置づけることができるかもしれません。
それまで無秩序に見えた東京が多層構造であったことに気づいたというご自身のスケッチを紹介し、東京がDUB的であったとおっしゃっていました。
あのコルビュジエもエントリーされていました。
テラーニ「カサ・デル・ファッショ」対コルビュジエ「サヴォア邸」では、引き延ばすのみならず、反復させても緊張感を保っていたテラーニの勝ち。「サヴォア邸」はプロポーションでできているのに対して、テラーニはプロポーションが「折り畳まれている」とおっしゃっていました。
日本建築では、東大寺南大門vs平等院鳳凰堂、あるいは浄土寺浄土堂vs法隆寺金堂、いずれも大仏様の勝ちです。強い構造(力学的意味ではない)をもっている大仏様のタフさが伺えます。
興味深かったのがザハ・ハディドです。彼女の作品は圧縮・膨張いずれもザハの作家性を失うことがありませんでした。圧倒的な強度です。
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ファッションにおいては、ファッションデザイナーのナルシソ・ロドリゲスを挙げ、
人体の力学的構造と布のラインとを一致させた、シンプルだが構造がはっきりわかる、つまり内在する構造とデザインの一致という、構造の同型性においてDUB的であると指摘してくださいました。
美術では、ウォーホル対バスキアを紹介してくださいました。一見似た作家に見える両者ですが、DUBの操作によって作歌性を失うバスキアに対してウォーホルの作品が構造が明快だったことに気づかされます。
また日常の風景を切り取った写真を、あたかもインスタレーションのごとく空間的にディスプレイする写真家である、ヴォルフガング・ティルマンスの展覧会を紹介してくださいました。
家具ではOMAの家具などをデザインしたマールテン・ファン・セーヴェレンをDUB耐性の強いデザイナーとしてあげていました。ジャン・プルーヴェとの対決に見事勝利しています。
またいくつかDUB的な映像も紹介してくださいました。
ひとつめはSTAR WARSの映像と音楽をサンプリングしたクリスカニンガムの「STAR WARS」という映像。最高にクール。
もうひとつはダニエル・シュミットの「今宵かぎりは…」。
デジタル処理ではなく、出演者にスローモーションのような動きで演技をさせ、カメラワークもスローで撮影することで荘厳な晩餐を映像化をしたもの。
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最後に、鈴木先生自身の建築を圧縮等DUB処理した、美術館のための展示作品「物質試行 No.51 DUB HOUSE」を紹介してくださいました。
このDUB空間にはマールテン・ファン・セーヴェレンやテラーニのスケッチをもとに作成したテーブルなど、もともとDUBに耐える作家の家具のみが耐えうるのだそうです。
1987年「絶対現場」の写真家・安齊重男による作品写真もひとつの成果です。
またこの作品では内部に照明をつけず美術館において「闇」を展示することもねらったそうです。
展示作品のモチーフとなったオリジナルの住宅「物質試行 No.50」でもDUB耐性を高めるためにディテールをとにかく消し、光と陰を前傾化させたそうです。
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まだ戦争と地続きで大学闘争といった戦後の問題を背負っていた1970年ころから活動をはじめた鈴木先生が、「建築零年」と名付ける2000年以降をふまえ、現在興味をもっている事柄としてこの「DUB MATCH」を紹介してくださいました。
細分化の弊害が顕在化した2000年以降、ジャンルを超えて他分野に展開するのがこれから重要。その上でSSDと早稲田芸術学校が似ている、と可能性を示唆してくださいました。
19時にはじまったレクチャが終わったのは22時30分をまわっていました。
膨大かつ濃密な内容であったにもかかわらず、体感的にあっという間だったのは鈴木先生の語り口のなせる技でした。
(阿部)