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特別WS #8「環境に応答する」

2011.09.05

特別講座「復興へのリデザイン」最終回として、歴史工学の中谷礼仁先生と建築家の宮本佳明さんをお招きするWS「環境に応答する」を9月4日[日]東北大学工学部中央棟DOCKにて実施しました。



まず五十嵐先生から今回のWSの主旨と講師の紹介を頂きました。
技術という視点から事物の連鎖を論じる中谷さんと、「環境ノイズ」という既存の環境から要素を解体する宮本さんとのお二人のレクチャを通じて、我々をとりまく、建築、地形、土木、交通、などの総体的な環境との関係から震災を理解し、広い視点からこれからを考えたい。


中谷礼仁先生からはまず、非常時における計画者の提案のケーススタディとして、建築家の吉坂隆正による伊豆大島元町復興計画についてご紹介いただきました。吉坂研究室は1965年の大島火災直後から再建案を作成し、東京都の区画整地以後の復興計画を委託され、壇状集落の提案や、区画整理で消えた参道機能の新設、高地に雨水を貯める「水取山計画」などを提案したそうです。
つぎにル・コルビュジエのドミノハウスを取り上げ、これが1914年の第一次世界大戦後フランドルに疲弊地区にむけて提案された復興住宅であったことを指摘します(*1)。さらには「シトロアン住宅」案(Maison Citrohan, 1920)で提案されたピロティが建築を土地から解放し、土地がいかに荒れようとも建築が成立し得ることを示しました。これらは気仙沼舞根を訪れた際、地盤沈下で土地が消えた地区を目の当たりにし、思い至ったのだそうです。
震災によって顕在化した問題群は、過去すでに予知され警告されていたものであり、今回それらが一気に同期したと言います。中谷先生はそれを「負の圧倒的連鎖」と表現します。クリストファー・アレグザンダーが「形の合成に関するノート」で示した「100の電灯を持つシステム(*2)」によると、互いに関連性をもつ素子からなるシステムを適切に平衡状態に導く為には、いくつかのサブセットに分割する必要性があるのだそうです。「負の圧倒的連鎖」を乗り越えるためには、非同期を促す為の新しいパラダイムを提示し、適切なサブセットをデザインする必要があるのではないか。
またレジリアンス(回復力)は、Redundancy/Resourcefulness/Rapid/Robustをもつ主体(レジリアント)にこそ存在するのではないかと指摘しました。
最後に、Anonymous Architectsの試みとして「古凡村」の調査をご紹介頂きました。「古凡村」とは環境条件と建造物、コミュニティのあいだに動的平衡性が古くから持続し、現在も有用に継承されている地区であり、糸魚川沿岸の舟小屋や入会地を持つ集落の事例や、吹浦地区の集落変遷構造などがこれにあたります。中谷先生によると、『和名類聚抄』に記載された平安時代から存在する「古凡村」集落が、山地と平地の沖積平野の際にプロットされると言います。今後もこの「古凡村」調査を継続したいとのことでした。

*1「〈ドム・イノ〉型骨組みはそれ自体加重を支えているから、これらの外壁や間仕切りはどんな材料でもよく、質の落ちた材料、例えば火に会った石でも、戦後の廃墟の残材を固めたものなどでもよいのだ」(『Le Corbusier 1910-1929』p16)
*2 100の光源からなるひとつのシステムがある。点灯している光源は1秒後に1/2の確率で消える。消灯している光源はそれと接続した光源の少なくともひとつが点灯しているとき1秒後に1/2の確率で再点灯する。これらの光源はいずれすべてが消灯して均衡状態に達する。このときすべての光源のあいだに接続がなければ数秒で平衡状態に達する。しかし全ての光源が他の全ての光源と接続している場合、天文学的な時間が必要となる。そこでこの100の光源を互いに独立したいくつかのサブセットに切り分ける。すると均衡状態への時間を適切な範囲に想定することができる。

建築家の宮本佳明さんからは震災以降の被災地での活動を時系列に沿ってご紹介頂きました。
宮本さんは4月初めに釜石にて仮設住宅のレイアウトを提案したものの、実現には至らず、その後、宮古、田老、大船渡などを実際に見て歩き、5月には名取、東松島、石巻に実際に入りました。見返してみると流された建物の基礎の写真ばかり撮影していたそうです。
被災したまちの保存のあり方として、アーティストのルベルト・ブッリの「クレット(旧ジベリーナ市)」という事例があります。これは1968年に襲った地震で壊滅的被害を受けたシチリア島のジベリーナ市を、まち全体をセメントで覆い、高さ1.6mものトレンチによってかつての通りを再現したという作品です。宮本さん自身としても、このころ被災したまちの保存のあり得る可能性をさまざま考え、たとえば田老を対象として、旧市街地に残された基礎をそのまま活用してまちを花壇の風景にする「基礎のまち」のスケッチなどを描いていました。
6月には建築家の伊東豊雄さんや東北大学の越村俊一先生などと共に、釜石復興まちづくりワークショップに参加しています。また伊東さんが呼びかけ、避難所のなかに皆が集まれる場所を提案する「みんなの家プロジェクト」でも、基礎を花壇にする提案のスケッチを描いていました。このプロジェクトは釜石市根浜海岸の宝来館という旅館で実際に実現し、さらにはそれが継続される形でそこで15mのテーブルを現在設計しているそうです。
さらには、第二次大戦の空襲で生まれたガレキを積んで地形をつくった「ミュンヘンオリンピック公園」の事例からも、ソイルセメントで固めてあげれば木質構造材が多い日本においてもガレキから地形をつくることは可能ではないかとの提案もご紹介頂きました。
7月はアーキエイドの牡鹿半島サマーキャンプというワークショップに参加し、寄磯浜という集落に対する高地移転案を提案し、これが市の復興プランにも盛り込まれることになったのだそうです。


講師への質問をテーブルごとにディスカッションで考えてもらいました。


質問:未だ問題が現在進行形である福島原発のように、応答すべき環境がまだ定まっていない場合、それをどう扱えばよいのでしょうか。
中谷:基準がないときにどう振る舞うべきかという問題。ひとつは、建築になりきれず廃墟にもなれない「建屋」という表現がそれを示しているのではないでしょうか。「ご本尊」には触れることができず、「鞘堂」としてしか扱えないのであれば、「鞘堂」の表象を考えることは意味があるかもしれません。
質問:中谷先生のマクロな視点と宮本先生のミクロな視点をいかに結びつけることができるのでしょうか。
中谷:すでに誰かがやっていることはその人に尊敬の念を持て任せるべきで、むしろ認識の枠組みを広げる仕事をすることが大事と考えています。「ホット」な復興と対になるような「クール」な復興像を示し、認識を立体化させたいのです。
質問:放射能や津波によって多くの土地が失われました。環境と応答していった末に建築が環境から切り離され、その極北として環境を拒絶した無菌室としての建造環境が理想化されてしまうのではないでしょうか。
宮本:無菌化、あるいは「ピロティ」は、かつて信じられていたユートピアであって、建築は地面から完全に切り離されることはないと思います。
中谷:土地といっても本当に様々あります。「古凡村」が際にあるのは、水田を「柔らかい」沖積平野に配置し、居住地は山裾の「固い」土地に配置し、使い分けたからです。その意味では、近代はすべてを固めて偽装したと言える。あるいは逆に高層ビルのような既にある環境さえも「土地」と見なすこともできる。すでにあるものを認めることに歴史の美徳があるのだと思います。


ディスカッションのメモ →
http://sendaischoolofdesign.jp/wp-content/uploads/2011/09/110904.pdf

1)講義内容について
テーマ:環境に応答する
日時:9月4日[日]13:00-
講師:中谷礼仁[早稲田大学創造理工学部建築学科准教授]+宮本佳明[大阪市立大学大学院教授/宮本佳明建築設計事務所主宰]
司会:五十嵐太郎[東北大学工学研究科都市・建築学専攻教授]
場所:東北大学工学部センタースクエア中央棟DOCK
2)修了要件について
特別講座「復興へのリデザイン」の修了要件は出席とレポートを総合して判断する。出席はディスカッションまで参加して出席とみなすものとする。レポートは9月16日[金]17:00までに阿部 abeatsushi@archi.tohoku.ac.jp までメールで提出すること
レポート課題:特別講座「復興へのリデザイン」を聴講し、①印象的な回の議論(複数可)を整理した上で、②それを踏まえた復興のアイデアを適切な図版とともに示せ。
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